寮通信
第122回「私と方言と東京と」(2017/08/05 一橋大学1年 大保達史)
はじめまして、一橋大学1年の大保達史と申します。
東京に来て既に3か月余りが経過し、和歌山の片田舎から右も左も分からず上京してきた私もすっかり東京に魅せられてしまい、友達との会話の中で「なんでだよ!」などとエセ標準語を思わず口走り、自らの関西人としてのアイデンティティ喪失の危機に怯える毎日を過ごしております。。
ところで、皆さんは方言というものに対してどのような印象を抱いているでしょうか。昨今ではメディアなどの影響もあって「かわいい」など肯定的な印象をお持ちの方も少なくないように思います。
しかし、明治時代の日本政府は標準語普及政策を中央集権国家としての価値観の統一のため国策として推し進め、地方の多様な文化の象徴であった方言を徹底的に弾圧しました。たとえばその当時、方言を使った人には「方言ばか」などと書かれた「方言札」を首にぶら下げられるという制裁が加えられていたりもしました。
しかし現在を振り返ってみますと、方言がもてはやされる風潮が一般的です。これは政治・経済に留まらず文化においても一極集中の下、何もかもが東京ナイズされどの地域も均質化しつつある現代日本に住む私たちが、心のどこかでは多様性を求めている証拠なのかもしれません。
だからこそ私は東京にばかり憧れを抱く(私も含めた)全ての地方民に対して声を大にして言いたいと思います、「なんでやねん!」と。