寮通信
第88回 富士 (2016/8/27 寮長)
オリンピックでは陸上短距離陣が(誰も10秒切っていないのに!) 絶妙なるバトンパスで銀を取るという快挙がありましたが、一方わが寮ではリレーブログのバトンがどこかへ落っこちて長期の夏枯れ状態に陥っていました。お詫び致します。そろそろ夏休み帰省から寮生も戻りつつありますのでお尻を叩くとして、まずは寮長がつなぎます。寮生には普段から「別に寮や大学の宣伝書いてくれんでも自分の趣味のこととか書いたらええねんで」と言ってますし、寮長みずから思いっきり趣味に走って書かせていただきます。
富士山は日本人なら子どもの頃からあらゆる場面で慣れ親しんでいる訳ですが、私もこんなの↓を見ながら育ちましたし、新幹線や飛行機から富士を眺める度にうっとりしてきたものです。
さて、単身赴任で上京したのを機に、富士はぐっと身近な存在になり、いろいろと富士フェチ行動を取ってます。その一端をご紹介しましょう。
(1) 寮からの富士
冬になると寮の屋上から富士が見えた記憶はありましたが、ほぼ半世紀近くも前の話なのでどの辺に見えたかも忘れていました。赴任したのが6月でしばらくはまったく気づきませんでしたが、10月に入って少し冷え込んだ朝、ふと思いついて屋上へ上がると調布の駅の向こうに見えました!
屋上でこれぐらい見えるので他の場所はどうかと言うと、毎朝の散歩コースで一箇所中央道をまたぐのですが、その橋からよく見えます。
さらに足を伸ばして多摩川まで出ると
オー失礼。これは北斎の「武州玉川」。ちょうど調布のあたりから写生したものだと言われています。実際はこんなに↓小さく見えるのですが。
同じ東京でも、めいっぱい西、高尾山の頂上へ行くとこれだけ大きく見えます。
こうなってくるともっと近づきたくなりますね。ある日、ネットですごい写真を見つけました。それは富士吉田にある新倉富士浅間神社からの富士です。もう我慢できずある日寮からチャリンコで片道約100kmのそのスポットへ行ってきました。(もちろん泊まりがけで)
どうですか?でも私がネットで見つけた写真は白い富士と満開の桜でした。ですから、この夏の日、冬と春にまた来ると決意しました。
はい、これが今年2月です。
そして4月ですね。桜と五重塔と富士山。実によくできた撮影スポットでしょ。
(2) 美術における富士
富士と言えば、葛飾北斎の富嶽三十六景を思い出さねばなりません。さきほどお見せした武州玉川もその一景ですが、他の絵を見るとおそらく当時江戸の街のどこからでも富士は見えたのだろうと思われます。東京も埼玉も千葉も、そこらじゅうに「富士見」という地名があります。一昨年上野の森美術館にボストンから里帰りした北斎展があったので行ってきました。それはそれは素晴らしい!あまりにも有名な凱風快晴、神奈川沖浪裏など富嶽三十六景の紹介はこの際、スキップして、昨年国立近代美術館であった片岡球子展の展示をご紹介しましょう。
どうです。この富士。凱風快晴をバックにした北斎像もあったので掲示します。
(3) 登るのは無謀
とうとう、もっと近づきたい願望が高じ、この夏登って来ました。まず6末に馬返しから五合目まで。そして7末に五合目から頂上まで。
最初の登山も「標高差が1200mあるなかなかのものです・・・」なんて説明を受けていましたが、終わってみるとこの二つの登山のしんどさは全く比べものになりません。5合目から頂上の標高差は1400mで、しかも上へ行けば行くほどきつい登りでした。おまけに高山病というやっかいな要素も入ってきます。幸いにも高山病にはならず頂上までたどり着きましたが、下山してそろそろ1月経つ今も「富士は眺める山にして、登る山にあらず。」という私の結論は動きません。でもまぁせっかく行ったので写真だけは飾っときます。
もう少しで頂上。だけどこれが長い。
山小屋でわずかな仮眠をとり、頂上の手前でご来光。
調子に乗ってたくさん紙面を割きました。お付き合いいただきましてありがとうございます。