寮通信

第93回 ネパール旅行記2 (2016/11/10 学習院大学3年 北山将士)


前回に続いて、北山がネパールについての旅行記を書かせていただきます。

三日目。この日は土曜日で、予定通り、生贄が行われるというダクシンカリ寺院(現地の発音はダッチンカリに近い気がする)に向かいました。市内から離れ山中に入るので、比較的信頼できるホテルの人に車を手配してもらいました。
生贄が行われるピークの時間は朝早くと聞いていたので、朝7時ごろ、ホテル前から出発で予約しました。

朝7時前にロビーに行くと、ロビー前には人相の良いおっちゃんがミニバンサイズの車で迎えに来てくれていました。(これが「おっちゃん」との出会いでした。) そこから約2時間。最初の30分ぐらいは、まだ市内ですが、すぐ山道に入りました。
山道に入ってからは、冒頭のように、あまり舗装されていない道を進み、始終上下左右の激しい揺れに襲われ、僕は車酔いするタイプではないですが、さすがにこの揺れだと厳しいと思い、必死で気を紛らわせるために、助手席のシートにつかまりながら、目の前に広がる田畑と、出来るだけ遠くの山の景色(写真5)を眺めることに努めました。
祖母の家がある和歌山の山の景色に、少しだけ近いものがあると思いました。でも、カーラジオからは祖母の家に行く時のように、『ありがとう浜村淳です。』なんかが流れてくることはありません。代わりに、『ボリウッド音楽(?)』が爆音で流れ続けていて、おっちゃんはノリノリ。
景色だけは似ている気もするけれど、いっこうに気は休まりません。だんだん景色も、山中に入って行くにつれ、道から外れるとすぐ崖という舗装されていない道になり、そこを時折、たくさんの人で満載の荷台のTOYOTA車が行きかうものに変わっていきました。
「いくら車酔いしないタイプ言うても、この揺れはキツい…」「この横って崖スレスレちゃうんか…」そんな不安が恐怖感に変わり始めました。

2-5
(写真5:カトマンズから車で1時間ほどの山中の様子。揺れが激しく撮るのに苦労した。) 途中ぬかるみにタイヤをとられて立往生したりしながら進み続け、出発から2時間少しほど、山奥の斜面に突然人の行列が現れました。おっちゃんが「着いたよ。ここがダクシンカリだ。」みたいなことを言っています。

自分一人で来ておきながら、ここで一人下ろされるのは不安だったので、おっちゃんに案内を頼むと、はじめからそのつもりだったようで、おっちゃんと二人でダクシンカリ寺院を見学することになりました。
「車止めてくるからちょっと待ってて」と言っておっちゃんは、車でもと来た道を下って行きました。僕は寺院の入り口のぬかるんだ道に下ろされました。
寺院の入り口のすぐ傍にはたくさんバイクが停められていて、お供えを売る露店も何軒か出ていました。思ったよりも人が多いですが、タメル地区では客引きのカモである僕のような旅行者が一人いても、誰も声をかけてきませんし、見向きもされません。観光地ではない場所に来たことを実感しました。立ち尽くしながら、10分ほど待ちます。この10分がどれだけ長かったか。

やっと、おっちゃんが戻ってきてくれました。ここに祀られている神がどんだけありがたい神かは知りませんが、この時のおっちゃんは僕にとって確実に『神』でした。
入口には多くの人の列ができていましたが、おっちゃんは列を無視して、列の間を縫って、どんどん進んでいきます。列は無視してもいいのかみたいに聞くと、おっちゃんは満面の笑みで「No problem」と。おっちゃんとはぐれると帰れないかもしれないので、気にせずおっちゃんに着いてきます。

ダクシンカリ寺院は『寺院』ですが、日本人が想像するような『寺院』ではありません。日本のお寺のような、静かで、庭園があって、落ち着く雰囲気ではありません。とにかく朝9時過ぎごろの山奥と思えないほどに人、人、人、そこに生贄となる山羊や鶏がいます。
ここはヒンドゥー教徒以外立ち入り禁止の場所があって、そのことはわかっていましたが、おっちゃんが門番・誘導係の人に話してくれ、生贄を行っている場所のすぐ前まで入っていいと許しをもらってくれました。おっちゃんは「あっちで待ってるよ。」と言って、階段の入り口あたりに戻ってしまい、結局、僕は一人、ヤギを連れ、鶏を抱えた人波の中で写真を撮っていました。
門番によると、写真撮影は自由とのことで、周りの人もあまり気にしている様子は無く、むしろ、「こっちから撮ったほうがよく撮れる」(写真6)とか教えてくれました。(ほんとは邪魔だったのか?)なんにせよ、露骨に嫌がられた事はありませんでした。

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(写真6:「こっちから撮ったほうがいい」と言われて撮った寺院全体の様子。かなり訪れている人は多く、ここが本当に朝9時頃の山奥か疑わしくなる。 柵の部分まではヒンドゥー教徒以外でも立ち入り可能。僕は柵の手前で写真を撮っていた。右端の水色の服を着た人が門番。)

外国人旅行者はほとんど見かけませんでした。欧米系の外国人が数人いたように思いますが、遠くから見ていました。
柵の内側では時たま、生贄になっているヤギの声が聞こえて来ます。石畳の地面は血でぬれていますが、そこら中で焚かれているお香やバターランプの匂いが強く、あまり血なまぐさかったりはしません。
写真を撮っていると、門番のおっちゃんが「靴を脱いだら、柵の内側に入ってもいいよ。」みたいなことを言っています。一瞬迷いましたが、やはり遠慮します。そうこうしているうちに生贄になった山羊や鶏が運び出されて来ました。
この寺院では、先述のように、ヒンドゥーの女神であるカーリー(写真7)に血を捧げるため、山羊や鶏を生贄にしています。(写真8)。

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(写真7:カーリー。タメル地区でTシャツになったものがあったので購入。ヒンドゥー教の女神で、青い肌にそれぞれに武器や生首を持つ手が10本、場合によっては頭も10個ある姿で描かれる。ネットで検索するとさらにすごい画像が出てきます。日本人の『神様』イメージとは遠いが、インド東部のベンガル地域では特に信仰が盛んらしい。)
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(写真8A:寺院の地面は血でぬれていて、お供えの線香や同じくお供えの葉っぱが散らばっている。訪れた人は靴箱のようなところに靴を置いて、皆、素足で参拝していく。)
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(写真8B:これから生贄になる山羊。)

生贄になった山羊や鶏は、すぐ横で加工され、訪れた人たちが持ち帰っているようでした。
一通り写真を撮り終えると、おっちゃんが、こっちへ来いと言っています。行ってみると、『トピ』(ネパール語で「帽子」の意味らしいですが、ほとんど伝統的なこの帽子のことを指すようです。高田馬場にあるカレー屋さんの店員さんが被っています。)をかぶった人が訪れる人に、ミサンガのようなお守りを巻いていました。
ここに座れと言うので、トピを被ったおっちゃんの前に座ると、何やら唱えながら、お守りを巻いてくれました(写真7)。

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(写真7A:お守りを巻いてもらう僕。その後、ひたいに赤と黄の印もつけてもらう。50ルピー。)
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(写真7B:そのすぐ横で生贄にした鶏を籠に入れる人。)

合計1時間半ほど見て回りました。
帰りも来た道を戻り、1時半頃にタメル地区に帰り着きました。

多くの日本人からすれば怖い姿の神様を祀り、しかも週二回その神に生贄を捧げている。至る所には大小の血痕、血まじりの水たまりがあって、そこを人々は裸足で歩き、時たま生贄の山羊や鶏の鳴き声が聞こえる。
人によっては恐ろしい、残酷と感じたりするかもしれません。しかし、行ってみるとそんなことは全く感じませんでした。詳しい事はわかりませんし、専門的なガイドも連れていない旅行者が見たもので話すには、あまりに正確さに欠けますが、僕の印象だけで話すと、神様は日本人からすれば、神様らしくない姿をしていますが、人々は僕みたいな旅行者が興味本位で来たことが申し訳ないぐらいに、真剣な顔をしながら祈っていました。
それに、写真を撮ったり、見て回ったりする事には今まで旅行で行ったお寺などの中でもトップクラスに寛容で、おおらかな様子でした。写真を撮っていいか聞いて、嫌な顔をされたり、断られたりする事はありませんでした。おかげで貴重な体験ができたと思います。
第三回目に続く。